銃の歴史まとめ(個人用)

主にネット検索で得た情報のみを使って、大雑把な個人用にまとめたものです。
細かい部分などで間違いや解釈のミスなどがあるかも知れません。

 
年代
銃やその出来事
説明や考察
備考
618年〜907年頃
中国の唐代
火薬の発見
(黒色火薬)
中国で800年代に書かれた「真元妙道要路」や「鉛汞甲辰至宝集成」という本に、
硝石・硫黄・炭を混ぜると燃焼や爆発を起こしやすい、と書かれていたらしい。
この頃の中国で、初めて火薬が発見されていたようだ。
・世界三大発明のひとつである。
どういう本なのか分からない……
・練丹術の研究の過程で発見された説があるらしい。
700年代末〜900年代初頭
(8世紀末〜9世紀初頭)


飛発が開発される 飛発という、最も古い火器が中国で登場する。 以下はwikipediaより転載。
 “飛発と呼ばれる簡素な銃は、パイプの一端を閉じて握りを付け、側面に小さな穴を開けた物で、
  使用時は側面の穴から火の付いた棒を差しこんで火薬に着火した。
  着火が面倒なため照準が合わせづらく、銃把を持つ火槍へ移行。
  その後、片手で扱えるよう着火装置を備える銃が開発された。

また、以下はヤフー知恵袋よりの転載。
 “木の板の上に、横に穴を開けた筒を縛り付け、火薬と丸く磨いた石玉を入れ、
  火をつけた棒を横に空けた穴に差し込むことで点火する方法の銃。
    一人で持てる大きさではなく、恐らく2−3人で板を持ち、もう一人が点火したと思われます。”
 大きな筒状の打ち上げ花火を横に向けて撃っていた、みたいな感じだろうか?
・えらい分かり易い構造ではある。
・ネット検索すると「唐で作られた」とあった。
・どうでもいいが、ネットで検索すると
 多くに「飛発(ハンドキャノン)」と書いてあった。
 熱いハンドキャノン推しである。
1040年頃
中国の宋の時代
黒色火薬の製法公表
中国で、曾公亮(そう こうりょう)と丁度(ていたく)という人物が、
「武経総要」という本を書いた。この中には火薬や火器に関することも書かれており、
火薬の配合比率などが記されていた模様。きっと火薬の安定した運用が始まったのだろう。
「武経総要」は軍事に関する本だったようだ。
 数年かけて書かれたらしく、40巻ぐらいあるらしい。
年代データ未入手
火槍が開発される
中国の子窠という人物が、火槍という火器を考案したらしい。
当時の王朝や構造の若干の違いによって突火槍、梨花槍、火門槍、槍砲など名前が違うらしい。
以下はwikipediaからの転載。
 “火薬を紙で包んだ物ないし節を除いた竹に火薬を詰めた物を長い柄の先に取り付け、
  それに火を付けて敵に突き出して炸裂させたり火花を浴びせることによって
  攻撃や威嚇を行うという兵器。”

 300m先まで聞こえるような凄い音がするので、威嚇用として主に使われたようだが、
 攻撃の面では、火薬の中に金属片を混ぜれば使えたが、基本的に使い捨てであり、
 再使用できるものも装填に時間がかかったり、発射の不発・遅延・暴発も多かったり、
 射程も命中精度も低かったらしい。ただ、攻城戦での防衛時にはよく使われたようだ。

・3DCGでイメージを描いたサイトを見つけたので記す。
 武器図書館 火枪 火槍 huŏqiāng
 http://arms.cybrary.jp/db/fire/flame/huoqiang.html
 ……手持ち花火のでかいやつだコレー!?
・ネットを検索して思ったのだが、火槍を開発したのは
 子窠ではなく、陳規という人物ではないだろうか?
 というのも、子窠という人物について検索してもヒットせず、
 
子窠とは火薬の弾のことである、というサイトを見つけたのだ。
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14103247654
 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/rekisi/heiki.htm
 
一方、陳規という人物は守城録という本を書いているらしく、
 これは城の防衛に関する本で、火槍の運用に近い分野である。
 ……ふーむ。どちらが正しいのか、またはどちらも正しくないのかもだが、
 昔のことなのでそういう不明瞭な部分もあるだろう。なかなか面白い。

1235年〜1241年
モンゴル・南宋戦争 中国で生まれた火薬の存在は、シルクロードを通して広まったような感じだ。
例えば、中国にある
南宋という国と、その北にあるモンゴルが戦うことになり、
戦いの末に
南宋は滅びたことがあったのだが、この時モンゴル側は火器を使っていたようである。
その後、モンゴルは領土を拡大して、巨大な大帝国を築き上げている。
火薬が世界に伝わったのは、シルクロードやモンゴル帝国の影響が大きいのかもだ。
・シルクロード wikipedia URL
・南宋 wikipedia URL
・モンゴル・南宋戦争 wikipwdia URL
・世界遺産と世界史28.モンゴル帝国の世界征服 URL
1274年
1281年
元寇
モンゴル帝国が日本に襲来して火器を使ったという出来事は、かなり日本では有名だ。
この時、モンゴルが使用していたのは、てつはうという手榴弾的な火器なので
銃とはあまり関係がないが、中国で生まれた火薬の兵器は、こんなところまで来たのだなあ。
・元寇 wikipedia URL