1865年
折からの南北戦争は激化を重ね、死亡者は70万人すら越えた。
直撃を受けたのは都市部の住人で、組織的に都市攻撃が行われて破滅的な被害が各地に出た。
結城良介はこの戦争から逃れるため、赤毛の妻を連れて日本へ帰る。
結城家に赤毛が代々生まれるのはここからと言われている。
良介は船大工として海軍の勃興に尽力した。
その息子、火助は船大工にならず海軍に入り、そのまま士官になる。赤毛と背の高さと語学力を買われ、火助はイギリスに留学する。
この時代、イギリスは中国(清国)で乱暴狼藉をして日本に同情的であった。要するに清国が悪いから罰してるのであって、我々は邪悪なわけではないという、証明のために使われている。
とはいえ、その実、火助はイギリス海軍士官学校にも海軍大学への進学も許されず、商船学校で学ぶしかなかった。
日本はここから始めるしかなかったのだ。