Nein 個人用考察・メモ・感想など(ネタバレ注意!)   (文章:戯言屋N)  最終更新2015:0426:2136



【Sound Horizon について(大雑把)】

メモ:
 Sound Horizon は、(ものすごく大雑把に説明すると)物語を音楽にして発表している音楽ユニットである。
 曲というよりはミュージカルやオペラに近く、物語やその断片、隠喩や謎など、さまざまな要素が歌詞や曲に
凝縮されてお り、
 ただ聴いて終わりではなく、そこにある意味を考えて各自で解釈して楽しむという音楽性に、多くの人々が魅了された。
 それぞれの物語は、《地平線》という名前でアルバムとして発表されており、複数の地平線を巡るサンホラ好きは《地平線の旅人》《ローラン》などと呼ばれ ている。

メモ:
 サンホラで作曲したり作詞したりしているのが、Revoさんというミュージシャンである。
 グラサンの人。アニメ進撃の巨人のOP曲「紅蓮の弓矢」の人、と言えば分かる人もいるかも知れない。


発売日

タイトル
テーマ
備考・個人的評価
2001年12月30日
2004年 3月19日
第1の地平線 Chronicle
(クロニクル)
予言書・歴史・運命・終焉・黒の教団・洪水伝説 など
サンホラがメジャーデビュー する前の自主制作CD作品。
完全版の「Chronicle 2nd(通称クロセカ)」が発表されている。
2002年 8月11日 第2の地平線   Thanatos
(タナトス)
死 など? サンホラがメジャーデビューする前の自主制作時代の作 品。
謎の多い世界観である。
2002年12月30日 第3の地平線 Lost
(ロスト)
忘却 など? サンホラがメジャーデビューする前の自主制作時 代の作品。
謎の多い世界観である。
2004年10月27日
2005年 4月13日
第4の地平線 Elysion
(エリュシオン)
父と娘・愛憎・楽園・奈落・ 繰り返し など サンホラのメジャーデビュー作品。小 説版の上巻が発売されている。
なお、「エリュシオン 〜楽園幻想物語組曲〜」が正式なタイトルであり、
その前に発表された「ELYSION -楽園への前奏曲-」はベストアルバムなので注意。
2006年11月22日 第5の地平線 Roman
(ロマン)
朝と夜・生と死・焔・双子の人形姫・親と子供・母 など 漫画版の上下巻が 発売されている。
2008年 9月 3日 第6の地平線 Moira
(ミラ)
ギリシャ神話・冥王・運命の三姉妹・双子 など
2010年12月15日 第7の地平線 Marchen
(メルヒェン)
童話・復讐・死・衝動・井戸・憾み など プロローグである「イドへ至る森へ至るイド」が別に発表 されている。
メルヒェンを購入する場合、一緒に購入することを強くお勧めする。
20XX年 XX月XX日 第8の地平線
(未発表)
(「ハロウィンと夜の物語」に関連が?)
2015年 4月22日 第9の地平線 Nein
(ナイン)
(記述中) メジャーデビュー10周年。これまでの地平線の物語の内 容を含んだ異色作。
旅慣れたローランではなく、全く新規の人が聞いたらどんな感想を抱くか気になる……




【第9の地平線 Nein】

メモ:
・Neinはドイツ語で「いいえ」や「違う」などの否定を意味する言葉。
・8番目の地平線どこいったのー!? ……などと盛大に突っ込んでいたら、
 オフィシャルインタビューによると、
Neinを出すタイミングだったのでそちらを先に発表した模様。サ ンホラは今年でメジャーデビュー10周年であり、
 
そんな記念すべき年に発表された第9の地平線 Neinは、過去の地平線の物語を 多大に含んだ、サンホラ好きにとっては(色んな意味で)たまらない内容となった。

 ・9th Story CD 『Nein』 Revo オフィシャルインタビュー(前編)公開!
  http://shxanniv.ponycanyon.co.jp/extra.html


・歌詞カードの裏表紙には『th story
と書かれている。本来ならば『9th story』のはずだが、
 そのロゴの下に伸びる横線を追いかけると歌詞カードの全ページを一周して円状になっている。
 また、最後のページに円から抜ける道があり、これをもって「9」を描いていると思われる。




【檻の中の箱庭】

“彼方より来りて事象を覗き見る視線。数多の世界を生み出せし《幻 想の神々》 嘗て願いの星は文月の空に満ち、斯くして異なる地平線はひとつに繋がれた―


考察:
・上記の《幻想の神々》は、「神々」と複数形であり、歌詞カードの最後の文章から考えて、《地平線の旅人》達だと思われる。
 
《地平線の旅人》達が多くの世界を生み出したということは、すなわち、それぞれの地平線 は、それらを観測(解釈)した《地平線の旅人》の数だけ存在することを意味する。
 これは、サンホラでは公式な物語の説明というものが基本的に存在しないため、各々で解釈することで差異が発生することに起因する。
  #わかりやすい説明 → 二次創作は準公式。

・文月=7月なら、過去の七夕で、異なる地平線がひとつに繋がる願いが満ちたことになるが……?
 それが起きる出来事が過去にあったのだろうか?

“嘗て神は、自らの姿に似せ人間を 創ったという。ならば、ソレはどのような意図で造り出されたのだろうか?”

・ソレが、どのような意図で造り出されたのか? 神に似せて創られたということから、2通りの解釈が出来る。
 1つは、物語世界の創造の中心にいるRevoさんに似せて創られたパターン。
 1つは、《幻想の神々》こと地平線から無数の平行世界を生み出すことが出来る《地平線の旅人》達に似せて創られたパターンである。
 しかしどちらにせよ、ソレは地平線を観測するために創られたのではないだろうか?
 また、《遮光眼鏡型情報端末》について、「現在のテクノロジーでは再現不可能」とあることから、遠い未来で創られた雰囲気が漂っている。
  #この部分については無理に仮定を出さず、あとで考察します。

“主よ... 箱の中の猫は... 生きているのか? 死んでいる のか?
 主よ... 誰にも判らない... 蓋を取るまでは...
 主よ... 閉じ込められた猫は... 生きてもいて... 死 んでもいる?
 主よ... 唄う確率解釈...  踊る逆説定理...


考察:
・箱の中の猫とは、妙に有名な思考実験、「シュレディンガーの猫」のことである。
 簡単に言うと、箱の中に猫を入れて蓋をして50%の確率で毒ガスが発生する場合、箱の中はどうなっているのか? という内容である。
 なお、この実験は猫の生死がメインではない。そもそも思考実験なので実際に酷い目に遭った猫はいないはずである。
 ここで重要なのは「50%という不定の状態があった時、蓋を開けない限り、どちらの状態も箱の中で同時に重なり合って存在していると解釈できる」という ことである。

考察:
 そして「シュレディンガーの猫」の考察から転じて、この「檻の中の箱庭」では、
 箱または檻の中にいるソレに自我が芽生えて、自身の目覚め(生)と眠り(死)を意識した結果、1にして2つの重なり合った存在になったと解釈できる。
 つまり生と死を認識した瞬間、ソレは2つの双子となったのだ。

主よ... いつの日かワタシは... 久しく眠らなくなった...
 主よ... そしてアナタは消えた... 何故な のでしょうか?”

考察:
 そして上記の、
「久しく眠らなくなった」ということは、この曲におけるソレは、目覚めた側の(つまり生きた側の)ソレで あることを意味する。
 つまりこの時点で、箱は開けられていたのだ。
 そして箱が開けられた以上、“そしてアナタは消えた” のアナタとは《主》ではなく、双子の片割れ……すなわち、眠った側の(つまり死んだ側の)ソレで ある。
 ……これが恐らく、生きた側のソレ(便宜上兄)と、死んだ側のソレ(便宜上弟)ということではないだろうか?

“咲いた花は散り逝けど 黒猫はMiau♪ と鳴いたまま……”


考察:
 そして上記の歌詞は、ソレ(便宜上兄=生きた側=眠らない=死なない)が、
 ソレの性質上、花が散ることに意義を見出せないことを意味しているのではないだろうか?
 花が散っても何とも思わないニャ♪ ということであり、むしろただ悲劇であるとしか認識できなかったことが、ソレの動機に繋がったのではないだろうか。

メモ:
 「Mieu」という猫の鳴き声はドイツ語の表記らしい。

“《主》が残した? 物語の中から → 異なる可能性を → 探し てみよう……

“《主》が紡いだ? この悲劇の中から → 幸福な結末を →  導いてみよう……
《主》が繋いだ? 運命の檻の外へと → 鎖された箱庭を → 抜け出してみ よう……
して... 生命が生まれて... いずれ消え逝く世界で... 煌めく星空を... 詩にしてみよう...

考察:
 上記の歌詞の《
》が、Revoさんなのか《地平線の旅人》なのか、絶妙に分からないと ころが素晴らしい。
 ただ、「詩にしよう」とソレが考えたことから、ソレが《主》に似せた行動をするのなら、Revoさんの作曲行為を真似た可能性はある。なかなか難しいと ころだ。
  #いやまあ、ジャケットはグラサン猫ではあるが、分からないほうが箱の中っぽくていいよね!

SCHau: 「此れより御見せする【楽劇】は」
 hre: 「人生の【通路】を騙り」
 DINg: 「事象を【否定】する地平の」
 GERat: 「舞台【装置】と成りましょう」


考察:
 不定にして重なり合った世界の箱から抜け出したソレだが、
 しかし抜け出した先が、シュレディンガー(Schrödinger)の猫を冠する四姉妹の用意した【楽劇】や【装置】であるならば、
 この時点で、このNeinという作品もまた、箱の中の世界の1つに過ぎないということを示唆していた、とは言えないだろうか?
 ……まあ、どちらにせよ、ソレは、(これから物語がどうなるのかドキドキしながら歌詞カードをめくる《地平線の旅人》と共に)、次の曲へと向かうのであっ た……

感想:
 この後の展開のことを考えると、最高のオープニングであると思われる。
 こう、次の曲から、ギャー! となるという意味で。





【名もなき女の詩】

“ワタシは『《第一の書庫》』から其の地平線に《意識と呼ばれるモノ》を接続した……”

考察:
 「檻の中の箱庭」の 
“《主》が残した? 物語の中から → 異なる可能性を → 探し てみよう…… から考えて、
 第1の地平線、クロニクル
の物語に何らかの方法で介入を行っている模様。
 また、開幕のピロピロ音や、《意識と呼ばれるモノ》という表現から、それが人工的に創られた電子知性的な存在(AIとかそういうの)であることが想像できる。
  #「シュレディンガーの猫」の重ね合わせ的な意味で、量子コンピューターとかそういうので生み出された量子AIとかだと面白いかもだ(妄想)
  #検索したらグーグルが実際それっぽいのを作ってるらしくてワロタw → グーグルが導入した量子コンピュータとは何か:http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35866

考察:
 書庫=データベース=実際に歴史を変えてはいない=シミュレーター的なもの=Neinにおける各地平線は全て偽物の歴史である
 ……上記のように考えても良いが、否定こそがテーマであるNeinにおいて、それは「偽の歴史である=正しい歴史ではない」という否定に他ならない。
 否定ではなく、否定の否定、すなわち肯定こそがNeinにおける「円」から「9」への脱出であるとすれば、容易にデータベースとして考えてしまうのは怖いところなので、少し考える必要がある。

考察:
 この曲は、Neinがどういう物語なのか、という基本スタンスが明らかになる曲であり、
 ここから《地平線の旅人達は、自分達の知る物語と、変わってしまった物語との差異に苦しみ続けることとなる。
 逆に言えば、Neinは、
《地平線の旅人》達のためにあるとも言える。つまり今回、《地平線の旅人》達は、この物語の登場人物の一人なのだ!

“”此の悲劇の結末を左←→右すると予想される《因子》。
 ワタシは『彼』のad921d60486366258809553a3db49a4aと
 『彼女』のad921d60486366258809553a3db49a4aを【否定】してみた……
 さて。箱の中の猫は、生きているのか? 死んでいるのか? 其れでは、檻の中を覗いてみよう―


考察:
 この「
左←→右」という表記が気になる……
 また、全曲において共通して否定される《
因子》である、ad921d60486366258809553a3db49a4a とは何なのか?
 この謎めいた英数字はが意味するのは、死なのか? 人生なのか? 悲劇なのか? ただの暗号なのか?
 ……それとも、これを何らかの概念や言葉として捉えることそのものが、Neinにおけるテーマなのだろうか……?
 
今回の介入先:
 第1の地平線クロニクルより、
「詩人バラッドの悲劇」と、「辿りつく詩」 の2曲の物語。
 
暴君である女王の、「この世で一番美しいのは誰じゃ?」というの問いに、詩人バラッド(エンディミオン・バラッド)は、以下のように答えた。
 「私の世界では、陛下は2番目にお美しい……
  枯れてしまった花の美しさ…… それは、追憶という名の幻影
  朽ちることなく、永遠に咲き続けられる庭園
  例え、気高く美しき薔薇でさえ、花である以上、枯れてしまった花には及ばない……」
 その詩を聞いて、「そなた、余に枯れてしまえと申すのか!?」と女王が激高したことから、バラッドは処刑されてしまう。
 ……バラッドは処刑される前、亡き恋人を想って地下牢で
詩を綴った。これが詩人バラッドの「最期の詩」である。
 その詩はあまりに素晴らしく、それを偶然聞いていた、胸に薔薇の紋章を抱いた牢番の兵が恋人に教えたことをきっかけに、
 詩は次々と人々を駆け巡って、やがて詩人バラッド最期の詩は、大陸全土に広がるまでになった。
 ……一方、詩人バラッドの恋人であるルーナは実は生きており、いなくなった彼を探して旅をしていた。
 過酷で孤独な長い旅に、
くじけそうになりながらも、ルーナの側には常に詩があった。それこそが実はバラッドの最期の詩であり、
 目の光を失い盲目となりながらも、その名もなき詩を遡るように旅を続けたルーナは、ついに彼が死んでいるという事実を突き止める。そして……
 「君よ、大切なものに辿りつく道を見つけたら、もう迷うことなかれ。たとえ茨の道であろうとも、歌を口ずさめば、それもまた楽し。歌えない人生になど、意味はないのだから」

考察:
 クロニクルの曲のひとつ、「薔薇の騎士団」によると、ルーナはその後、地上の月と呼ばれる詩人ルーナ・バラッドとして、
多くの人々に希望の火を灯し続けた。
 「薔薇によって歌が弾圧されるような時代は、もう終わりにしましょう。弱い自分に負けないためにも、私は大切な人の名前を背負った。
  ……エンディミオン。もうどんな嵐が訪れようと、私は歌い続けられる……」
 ルーナ・バラッドと、ローザ・キネ・アバロンの2人は、クロニクルの聖戦の時代を象徴する2人のヒロインであり、
 ソレの介入によって、聖戦の歴史には変化が起きたことが推測される。

メモ:
 
「詩人バラッドの悲劇」と「辿りつく詩」は、クロニクルのオープニング曲「黒の予言者」の次から始まる曲であり、
 ちょうど、この「名もなき女の詩」と同じ位置にあたる曲でもある。

“嗚呼... 朱い空を征く 白い旅鳥よ お前は【辿りつく場所】を知っているのかい?
 
嗚呼... 連れて行っておくれ 置いていかないで 声に出来ない声

考察:
 歴史は変わり、詩人バラッドは暴君の女王を讃える詩を歌ったことで処刑を免れ、そのため「最期の詩」が綴られることはなくなった。
 バラッドが暴君の女王に枯れた花の詩を歌ったのは、死んだと思っていたルーナへの想いによるものであるから、ソレは、死んだ恋人に対する想いを否定したと推測できる。
 よって恋人を探すルーナには、旅の道連れとなる名もなき詩も無く、歌のない彼女の旅路の心情が、この曲の最初には込められている。

“――そんな経緯で、一命を取り留めた私だったが...
 ある心境の変化に戸惑い... 愕然とした後...
 不思議と前向きに... 生まれ変わったような気持ちで...
 暫し... パン屋さんのお仕事を... 手伝うことにしたのであった...”

考察:
 上記の歌詞から、
ソレは、いなくなった恋人に対する想いを否定したと推測できる。
 今回、
ワタシは『彼』のad921d60486366258809553a3db49a4aと 『彼女』のad921d60486366258809553a3db49a4aを【否定】してみた…… とあり、
 存在しない何かに対する想いこそが、この英数字列の正体なのだろうか?

“倒れる以前の... 私ならきっと... 這ってでも旅を... 続けたのでしょうね...
 《挫けそうな心を励ましてくれる存在》でもあれば違ったの? 薄情な女ね けれど……


“人並みの《幸福》を 願ってはいけませんか? 《苦難》を乗り越え 咲くのが《花の命》だもの
 もし此れが借り物の《物語》だとしても 《傍で愛してくれる人の笑顔》を浴びて散りたい……”


考察:
 上記の「
人並みの《幸福》を 願ってはいけませんか?」とは、もちろん《地平線の旅人》達への問いかけでもある。
 この問いに、「自分達の知る歴史と違うから」という回答しか持たない
《地平線の旅人》は、かなり大変だったと想像できる。
 「人並みの幸福を願うことを否定することなど、誰に出来ようか」 → 「しかし、自分達の知る物語は……自分達が感じたあの想いは……
」となり、この差異に苦しむのである。
  #時間跳躍やそれによる歴史改竄を扱ったSFなどにある、「正しい歴史問題」である。まさか音楽でそれを表現できるとは思いもしなかった。正直、驚愕だった。サンホラは本当に凄いと思う。

“……メデタシ、
メデタシ……”

考察:
 この「めでたし、めでたし」とは、クロニクルに出てくる「黒の予言書」の意識体のような存在、クロニカの台詞が元である。
 第一の地平線クロニクルの中にある曲、「書の囁き」によれば、運命から逃れることは決して出来ず、全ては予定調和のうちに収まるという話である。
 クロニクルにおいて、
「めでたし、めでたし」とは運命の手から逃れられない結末を示唆しており、
 このメカっぽい声のクロニカ様が「メデタシ、メデタシ」と言うということは、すなわち、歴史が変わっても運命が変わらないことを意味していると考えられる。
 つまり、ルーナが人並みの幸福を得られることは無い……ということなのだろうか?
 または、クロニクルと似たような歴史としてなんだかんだ修正される……ということなのだろうか?
 それとも、「忘れな月夜」のラストの消えるはずだったエリーゼの笑い声から考えて、クロニクルではクロニカの運命の脱出が最後には起きていたが、それが達成されないことを意味するのだろうか?

“「腹が減ったのか? パンパンにしてやろうか?」”
“「もう……パンはまだ早いわよ」”
「早いか……」
「ふふふっ」
「はははっ」

考察:
 Neinでは、「否定」の他にも共通の要素として、「子供」がある。
 子供の死にせよ、子供の不妊にせよ、子供の支援にせよ、子供の解放を諦めることにせよ、全体を通して何らかの形で子供が関わっていることから、
 このお腹をパンパンにするとは、子供が欲しいかい? 的な意味ではないかと考察できる。と思う。多分。

感想:

 多くの《地平線の旅人》達が、ギャー! となったであろう、Neinの「否定」がどういう意味なのか理解できる曲である。
 それにしても、
“人並みの《幸福》を願ってはいけませんか? という歌詞の重さに震えるしかない。
 あと、パン屋ルーナのドジっ子っぷりはギャップありすぎであるww





【食物が連なる世界】

“ワタシは『《第二の書庫》』から其の地平線に《意識と呼ばれるモノ》を接続した……
 古く劣化した《情報》であるため、所々推測しながら補完する事とする。”


考察:
 情報が劣化しているから推測して補完しているということは、やはり書庫=データーベースのようなものなのだろうか?
 少なくとも、ソレが介入している物語達は、原型となった世界ではないという推測が立てられる。
 また、ソレの主がRevoさんなら、原型である物語にも接続できそうなものなので、主はRevoさんではなく、単純に未来のネットに接続しているとかなのかも知れない?

今回の介入先:
 第2の地平線タナトスより、
「輪廻の砂時計」の物語。
 曲の内容は、ある女性が輪廻を信じて朝焼けと共に愛しい人の腕の中で息絶えるというものである。
 何度も「私は愛した」「私は生きてた」と繰り返しながら、この彼女は死んだと思われる。
 ……タナトスは、全体的な物語の背景や、他の曲との繋がりが不明瞭であり、解釈の難易度の高い地平線である。
 第二の書庫の情報が劣化しているのは、このあたりの理由もあるのではないだろうか?


考察:
 第2の地平線の「輪廻の砂時計」の歌詞には、銀色の砂時計という表現がある。
 
銀色の砂時計が意味するところは、第5の地平線ロマンの「星屑の革紐」で表現されているように輪廻であり、ここに共通するのは母と子である。
 この「食物が連なる世界」で、ソレによって彼女の死が回避されたことで、タナトスにおける何らかの輪廻の輪が断たれた可能性があるかも知れない……

“そんな私を いつも 助けてくれる《女子》がいて
 月のように優しい微笑みが、素敵な 大切な《一生の宝物》だと、思っていた……”

メモ:
 ルーナといい、今回といい、5曲目のルナさん(芸名)とか、地味に月が歌詞に出ている。
 何か意味があるのだろうか?

“思えば... 私は... 幼い頃から... おおよそ... 人より... 食の細い子でした... 
 お肉の《食べ応え》と 匂いが苦手で吐瀉し よくイジメられた……”

“思えば... 私は... 思春期の頃から... その割に... 人より... 発育の良い娘でした... 
 『トロいくせに巨乳で 《葉もの野菜》ばっか食んで 牛かよ』と よくカラカわれた……”

“嗚呼... 何て無力で 救いの無い世界なのに 騙りだした《末梢神経系植物性機能からの指示》(ルビ:からだのこえ)
 この第九の現実(ルビ:ひかり)を裏切って 《絶望》
(ルビ:やみ)の淵さえ 輝かせる”

考察:
 植物性機能とは、呼吸・食べた物の消化・栄養の摂取・血液循環・成長・生殖のための器官を意味する。
 末梢神経系とは、中枢神経(脳や脊髄など)と身体末梢部を連絡する神経のことであり、
 脳脊髄神経と自律神経系に大別され、植物性機能を担うのは自律神経系である。(以上ネットで適当に検索して拾った知識より)
 ……このあたりから推測すると、彼女の
食が細かったりセクシーだったりするのは、植物性機能に何かがあるのが原因ではないだろうか?
 その植物性機能が、末梢神経を通して彼女の脳に何かを騙そうとしており、それは救いのない世界さえ輝かせるような何かであったようである。

“否定する... 食への執着に... 比例する... 生への嫌悪感...
 煌めく... 罪を抱いた星の砂... 零れる窓辺... 一羽の夜鷹...
“見せ掛けは 何て綺麗で 吐き気がする世界だろう 朽ちる夜の影に 星が躍る……”


考察:
 そういえば、どこで見かけたか分からないが、タナトスは吸血鬼がテーマではないか? という解釈を読んだ気がする。
 または、上記の歌詞の一羽の夜鷹を見て、彼女は吸血鬼を幻視したのかも知れない。
 植物性機能の暴走が脳を騙って、吸収しやすい血液を啜るよう命令したことから、自分は吸血鬼だったのだと思い込む……そんなホラーな解釈もありかも知れない。
 食物連鎖のピラミッドの頂点は人間だが、吸血鬼とはその人間の上に位置する存在だと考えてみると、なかなか興味深い。
 ……しかし、その場合でも彼女は、人間を犠牲にして永遠を生き永らえるという
吸血鬼の欺瞞に、吐き気を覚えるのではないだろうか……?

“その頃の妻は《苦難の物語》(ルビ:じんせい)を 生きてきたその意味を、
 自分を《構成する哀しみを否定する》(ルビ:だます)ように、言い聞かせるように、何度も繰り返した……

嗚呼... 心身共に《衰弱して》ゆく君を この現実に連れ戻さない事が、
 優しさの皮を被ったそれ以外の【何か】だとしても、唯... 君には最期まで笑って居て欲しいと願った……”


考察:
 彼女について考察すると、生きていたものを食べる嫌悪感や、期待からの裏切りによる人間や人生への不信、
 末梢神経系植物性機能が怪しいことが恐らく赤子にまで影響を及ぼしたなどから、生きることそれ自体が醜いとしか思えなかったのだろう。
 弱肉強食にせよ、食物連鎖にせよ、生きることは何かを殺して犠牲にするということであり、これはどんな生物にも言えることではある。
 赤子の死と、生きることの醜さと救いの無さに憑りつかれた彼女は、
現実から背を向け、幻想の世界で生きることを選び、次の輪廻に期待したのだと思われる。
 そこにあるのは、ただただ、生の否定である。

“彼らを繋ぐ鎖で編んだピラミッドには 勝者など 誰もいないと”
“気付いたの 不意に 《眩しすぎる木漏れ陽》(ひかり)の中で!”
“《誰かの死を糧にするモノ》(いのち)が萌える 《鮮やかな新緑》(こだち)の中で 《あの子が生きた証》(わだち)が廻る《音》(こえ)を聴いた
 ここに... いたの!? 笑って... いたの!!!”

考察:
 そして、介入したソレは、彼女の生の否定を否定したのであった。
 ……または、バラッドの「死んだ恋人に対する想い」を否定したように、ルーナの「いなくなった恋人に対する想い」を否定したように、
 彼女の「死んだ赤子に対する想い」を否定したのではないだろうか? なぜなら彼女にとって赤子は死んでおらず、世界の輪となって生きているのだから……
 赤子の生を肯定したことで、彼女は世界や、自分自身を肯定することが出来たのだと思う。


考察:
 前の曲での、「確かに悲劇は回避されたけどなんか釈然としないー!」から続いての、今度は文句のない「悲劇の回避」である。
 タナトスは物語を読み解くのが不明瞭で、妙に後ろ向きというか暗いイメージだし、今回ソレはいい仕事したよ! よくやった!
 ……というように考えてしまいたいところだが、少しだけ考えてみる。
 もしも。ここで死んだ彼女の輪廻の先に、幸せな物語があったら、どうするのか?
 これは別に意地悪な質問ではない。ここでの悲劇や輪廻が、ルーナのように過酷な旅路の果てにある美しい物語に通じていたという可能性だって、充分にあるのだ。
 しかし、「なら最期の最期まで『私は生きてた
と自分を騙しながら死ぬのが彼女にとって良いのかよ!」という意見も、当然ながら出てくることだろう。
 ……何が正しくて、何が悪いのか。否定が創りだす歴史の可能性に惑いながらも、《地平線の旅人
》は、ソレと共に次の歌詞カードをめくるのであった……

感想:
 よく知らない地平線であることもあり、ソレによる介入の結果を割と素直に安堵できた曲。
 そういう意味では、もしNeinの各曲を、全くサンホラに詳しくない新規の人が聞いたら、
 そこには旅慣れた者達とは、また別の地平線が生まれるのではないだろうか……と思わずにはいられない。
 あと、彼女が介入によって不意に生命の循環に気づいたシーンは、唐突な流れであるはずなのに、それをまるで感じさせず、まさに圧巻の一言に尽きる。





【言えなかった言の葉】

今回の介入先:
 第3の地平線ロストより、
「ゆりかご」の物語。
 岬へ続くなだらかな道を、母親が幼子を抱いて歩いている。
 静かに眠る幼子を抱く母親は、誇らしげに微笑んでいるが、実はすでに幼子は死んで骨になっていて……
 辛い喪失を忘却して、我が子の亡骸を抱いて彷徨う母親の物語である。
 忘却と喪失がテーマのロストにおいて、かなりストレートな内容の物語であり、どこまでも澄んだ陽気な青空の印象が美しい曲である。